ばかみたい

夜7時過ぎ、よく知らない駅のロータリー。
その上に架かるデッキの上で、煙草を吸っていました。
辺りは人気が全くなくて、やたらと高い街灯の明かりが雨上がりの雰囲気と相まって綺麗でした。

美しさとは裏腹に、自分の汚れきった人生を憂いていました。
いつだって哀しみは人間関係から生まれます。
雨上がりのデッキではこんなに満ち足りていられるのに、人と関われば哀しみばかりだ。


明日になれば日が射して、地面に落ちた雨粒たちは蒸発して霧散するのでしょう。
俺もそうなりたいと思いました。このままここで消えてしまいたくなりました。

人に愛されていると思えないのです。
それでも求めてしまい、なのに溝を作ってしまい、勝手に諦めてしまうだけの日々です。


優しい人間になりたかったです。そうすれば、愛される気がしていたから。
もうなれないことをわかっているのです。哀しみすら共有できない人間関係は、少しずつ神経を殺していくだけです。


死にたいわけがないでしょう。人間みんなそうですよ。誰だって死にたいわけがない。
やればやるだけ悲しいことが増えて、どうにもならなくて、生きていると幸せなことより苦しいことだらけだから、諦めてしまうのです。何もなくなってくれないかな、って。


痛いのも苦しいのも嫌だよ。眠るように消えてしまえたらどれだけ楽か。痛みが伴うから死ぬことさえ嫌になって、八方塞がりで生きている人がいるって、どうしてわかってくれないかな。