水曜日の朝、午前3時

厭世という言葉を初めて知ったのは大学生の頃でした。
聞き馴染みのない言葉は耳を通りすぎていくことが多いのですが、29歳になった今も厭世という言葉を覚えています。

人生は緩やかに捻れていったのです。気が付いた時には人格が形成されていました。

人と上手く関われません。
どこで間違えたんだろう。致命的な欠陥はどこに由来するんだろう。

思い返せば、上手にできていた時なんてありません。
小さい頃から自分のことを話すのが苦手で、中学生の頃は人と話すだけで顔が赤くなりました。

愛がなんなのかも、いまだにわかりません。
どうせいつか冷める、一時の慰めだと思ってしまいます。




怒らないのは期待してないから。助けてくれなかった、なんて思えない。最初から人の助けなんて期待していない。

一人でなんとかするよ。ずっとなんとかなってきた。厭世という言葉を覚えてからも、10年近く生きてきたんだ。

今日もふと思ったんだ。俺が生きていると、不快になる人のほうが多いんじゃないかって。
ごめんね。人の邪魔なんてしたくないんだ。そこまでして生きていたい理由もない。

死ぬから殺してほしい。災害でもいい。
自分で死ぬのは億劫だ。