琴線に触れる

夜の公園で見た涙の意味を考えていました。

感情というものが、本当に左胸の心臓にあるのならば。
僕の心臓には硬い皮膚が幾重にもかぶさっていて、大抵の事柄は硬皮の上で霧散してしまいます。

心臓の裏側まで覗かれそうになると、嬉しい反面怖いのです。
かつて心臓の中に入り込んだ人たちは、一番近いところから感情を抉っていきました。その傷はいつまでも残ってしまうもので、感情は痛みに敏感になっているのです。


この心臓を見せてしまえたら、どれだけ幸せなことでしょうか。
「琴線に触れる」という言葉が浮かびました。感情の奥底、琴線に触れられたら、僕は泣いてしまいます。それが何の涙かを理論立てて話せないけれど、きっと嬉しいことだと思うのです。


僕の言葉が琴線に触れたのなら、そんな涙だったのなら嬉しい。
みんな人生を積み重ねています。きっとみんな心臓の上に人生を積み重ねた琴線があって、そこに僕が触れたのなら。


こんなに怖いのに、こんなに幸せなのは、僕を人間として見てくれたから。
涙を見せてくれて、それが嬉しくて泣いてしまいそうだった。