これから

本当は悲しい。

公園で泣いてくれた時嬉しかった。

照れながら真っ直ぐ気持ちを伝えてくれて嬉しかった。あなたが大切で、一番で、特別なんだと教えてくれた。

だから、話しているのが楽しかった。もっと俺のことを知ってほしくて、もっとあなたたちのことが知りたかった。

 

なにがなんだかわからないまま、さらさらと砂のように消えていくあなたたちがわからなくなった。

それでも悲しみは見せられなくて、なんて伝えたらいいかわからないから、凝り固まった関係性になって、うまく笑えないんだよ。

 

悲しいのは当たり前じゃないか。傷つくのはそんなに悪いことかな。

俺は自分のことばっかりだ。もう何も見えないんだよ。

 

一人きりになりたい。優しくされると、自分が嫌になるんだ。

俺には何もないよ。軽蔑して、見捨ててほしい。生き長らえるなんて、拷問じゃないか。

文字通り

俺の中の時は停まっていたようです。

色んな啓発本やリラクゼーションを試して、日々浮き沈みを繰り返しながら、それでもまだまだずっと苦しい日々です。

 

全く笑っていない。誰にも興味がない。誰も大切じゃない。

孤独なはずなのに、涙も流れない。悲しくもなく、ただ浪費していく時間。

 

楽しく生きたい。もう過去なんていらない。

これからの話をしよう。これからのことを考えよう。明日出会う人と笑おう。

幸福論

ホテル屋上の最高級レストランで見た冷ややかな表情と、小馬鹿にしたようなセリフ。
プレゼントは投げ捨てるように脇へ置かれ、時間を気にしながらスマホを見ていたあの人。

翌日、日だまりのような温もりが充満した部屋で、嘘みたいなプロポーズをした。
彼女は「いい奥さんになるね」と涙を浮かべながら言った。

俺は彼女を幸せにしたいのに、いつだって薄汚れている。
薄汚れた俺を、薄汚れたあいつが見下す。無垢なのは彼女だけで、それを幸せにできるのは俺だけだ。

どうせ人生を捧げるのなら、幸せになるべき人のために捧げたい。

夢をかなえるゾウ3

<自分の持ち物で本当に必要なものだけを残し、それ以外は捨てる>
人生の時間や場所には限りがある。中途半端に欲しいものを集めない。<苦手な分野のプラス面を見つけて克服する>
成功したあとの幸せを想像する。苦手なことを克服するのは成長のチャンス。<目標を誰かに宣言する>
後に引けなくする<本音の欲求に従う>
なんのためにそれをするのか、なにがほしいのかを明確にする。

目標

<毎日を楽しく生きる>
週に一度楽しみな予定を作る。できれば人に依存しないもの。催し等に積極的に参加する。<素直に生きる>
心を開くには自分が恐怖心を抱いていることを自覚する。相手も自分が何を考えているか怯えている。親密な人へ毎週一回深い話をする。<身体を鍛える>
毎日必ず筋トレをする。<常に心に余裕を>
頼りがいのある男になるため。毎日を楽しく笑顔で生きていれば、辛いことも笑い飛ばせる。

夫婦·カップルのためのアサーション

夫婦の関係がうまくいっていないとき、どのような子ども時代を過ごして何を体験してきたかを理解すると、その謎が解けるときがある。

当初は魅力に感じていたものが不満に変わるときがある。優しい、ではなく、優柔不断など。パートナーを変えるより、自分の見方を変えるほうがいい。

パートナーと親密な関係を保つにはギブアンドテイクの公平さを保つこと。自分は何かを与えていて、相手がそれに感謝をしてくれていて、その見返りで何かをもらっていると認識できていること。

親密さとは、自分が自分らしくいられ、相手のその人らしさを承認できるような関係。相手に対して重要な事柄を率直に語ることが必要。

健やかな時の喜びを共有するのは容易い。病めるときの痛みを共有できるとよい理解者になれる。

依存に対する恐怖を持っている人がいる。パートナーに必要なのはお互いを支え合う関係で、健康的な依存や甘えは悪いことではない。

今日の出来事

ジムに行った後、久しぶりに焼き肉を食べに行きました。
そこには自動配膳ロボットがいて、僕はそれが自分の席に来るのを少しワクワクしながら待っていたのですが、結局一度も来ず、無愛想な店員が皿を少し叩きつけるように配膳してくるだけでした。

チャレンジしてみたポテトチョコチュロスは、甘さともちもち感が奇跡的なミスマッチを起こしていて、満たされたお腹に詰め込むのに難儀しました。

その後に行った温泉は、森林に囲まれた未開拓地のような露天風呂がついていて、自分が野生の猿になったような気分がしました。
サウナ好きの友達に教えてもらった方法で、整うというものを体験してみたかったのですが、水風呂はただただ冷たくて、逃げ込むように温泉へ入り直しました。

帰りに寄ったスーパーで、通りすがりの人をフラッシュのついたカメラで撮影しているおじさんがいました。
おじさんは撮った後に決まって、素知らぬ顔をしていましたが、それがまた奇妙で狂気的に見えました。


毎日を楽しんで生きていれば、もう少しだけ素直になれる気がしました。