快晴

「悲しむ人がいるんだから死んだらだめだよ。」
自殺を思い止まらせる台詞として、擦りきれるほど使われてきました。

家族はいません。友達と呼べる人もいません。いや、いたけど失いました。
恋人と呼ぶべきだった人たちとは、何も理解し合えません。憎まれて終わるだけの関係性は、生きていく糧になるはずもありません。


死んで悲しむ人だけを数えようとしていました。
死んだら喜んでくれる人も多くいることに気がつきました。
敬語にこだわり続けた人、生徒を殴った教師、そして友達だった人たち。


「あいつ、自殺したらしいよ。やばくね?」
退屈な日常の、とっておきの刺激物として彼らは語るでしょう。
死ぬべきことをしたやつが死んで、彼らは彼らの正統性を確かめ合うのです。やっぱり俺たちが正しくて、死んだあいつはバカだったと。


俺の死が人の喜びになるなら、それだけでも価値はあるのじゃないでしょうか。
悲しむ人の顔が浮かばないのですよ。攻撃されたり、無視されたり、俺の人生はボロボロなのですよ。


欠陥人間なんです。期待しないでほしい。望まないでほしい。